先日母親の3回忌がありました。30日は命日でした。8月にはお盆があります。日々忙しいと死んだ人のことを考える機会がありませんが、この時期はどうしても考えないわけにはいかないようです。メーテルリンクの「青い鳥」の中に死んだ人がよみがえるのは生きている人がその人のことを思う時だ、というようなことが書かれていますが、現実にはいない人を思い返すことによって、亡くなった人を自分の心の中によみがえらせる季節なのだと思います。生と死を考えるともいえそうです。日常と非日常を考えるともいえそうです。昔からお盆を重視する風習がありますが納得できる感じがします。それだけ死に対して近かったのかなと思います。また、目にみえない世界を大切にしてきたんだなと感じます。
死が近いといえば、榛名に引っ越して8年くらいになりますが隣保班の人が5人も亡くなっていてそのたびに通夜、告別式、49日、1周忌、新盆と出席しています。つい先日まで元気だった人が急に入院して亡くなっているので驚くばかりで、ここに来てから死に触れる機会が増えました。田舎はそういう行事が多いので地域の連帯が強いような気がします。地域の周りの人が死ぬことによって次は自分の番かなと死に対する漠然とした準備もできるような気もします。
母親の死を通じ、最終的には自分も死ぬのでいかに死ぬかが大切だと思うようになり今農業をしているわけですがこの季節は今の自分の原点でもあるので大切にしたいと思います。
死が近いといえば、榛名に引っ越して8年くらいになりますが隣保班の人が5人も亡くなっていてそのたびに通夜、告別式、49日、1周忌、新盆と出席しています。つい先日まで元気だった人が急に入院して亡くなっているので驚くばかりで、ここに来てから死に触れる機会が増えました。田舎はそういう行事が多いので地域の連帯が強いような気がします。地域の周りの人が死ぬことによって次は自分の番かなと死に対する漠然とした準備もできるような気もします。
母親の死を通じ、最終的には自分も死ぬのでいかに死ぬかが大切だと思うようになり今農業をしているわけですがこの季節は今の自分の原点でもあるので大切にしたいと思います。