2009年08月01日

この季節に思うこと

 先日母親の3回忌がありました。30日は命日でした。8月にはお盆があります。日々忙しいと死んだ人のことを考える機会がありませんが、この時期はどうしても考えないわけにはいかないようです。メーテルリンクの「青い鳥」の中に死んだ人がよみがえるのは生きている人がその人のことを思う時だ、というようなことが書かれていますが、現実にはいない人を思い返すことによって、亡くなった人を自分の心の中によみがえらせる季節なのだと思います。生と死を考えるともいえそうです。日常と非日常を考えるともいえそうです。昔からお盆を重視する風習がありますが納得できる感じがします。それだけ死に対して近かったのかなと思います。また、目にみえない世界を大切にしてきたんだなと感じます。
 死が近いといえば、榛名に引っ越して8年くらいになりますが隣保班の人が5人も亡くなっていてそのたびに通夜、告別式、49日、1周忌、新盆と出席しています。つい先日まで元気だった人が急に入院して亡くなっているので驚くばかりで、ここに来てから死に触れる機会が増えました。田舎はそういう行事が多いので地域の連帯が強いような気がします。地域の周りの人が死ぬことによって次は自分の番かなと死に対する漠然とした準備もできるような気もします。
  母親の死を通じ、最終的には自分も死ぬのでいかに死ぬかが大切だと思うようになり今農業をしているわけですがこの季節は今の自分の原点でもあるので大切にしたいと思います。
 



Posted by 百姓を目指す修行生 at 02:10
Comments(2)
この記事へのコメント
そうですか。
いろんなことと向き合い、感じながら、考えながら、自分の生き方を選んできたのですね。

私たち人間は、目に見えるものばかり追いかけてきてしまったような気がします。
でも、この世の中は微妙なものであふれています。
あいまいで移ろいやすく、目にし、手にすることのできないものであふれています。
でも、そこにこそ根源的で本質的な何かがあるように思います。

目に見えないけれど、感じること。
手にできなくても、信じること。
自然の一部である自分の感覚を大切に生きていきたいですね。
Posted by とちのみ  at 2009年08月02日 00:05
とちのみさんありがとうございます。農業を通じ感性、五感がとぎすまされるような気がします。今は情報洪水の中で頭でっかちになりがちなので自分の感覚を大切にしたいですね。
Posted by 百姓を目指す修行生百姓を目指す修行生  at 2009年08月02日 20:55
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
認証文字を入力してください
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
この季節に思うこと
    コメント(2)